つながってる世界

 育児しながら考える、環境のことなど。 
 
 
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おもちゃ 2
日曜、月曜と高熱に見舞われた私。
今日の朝、突然熱が下がっていた。
とはいえ大咳はそのまま。
頭痛も少々。
でもいいね、平熱の状態って・・・。
それだけで幸せ。

さて、熱を度々測っていたら、
体温計がすっかり娘のおもちゃになった。

体温計

蓋を開けて出すのは前からやっていたが、
入れようと一生懸命になったのは初めて。
「そんな角度じゃあ無理無理、
君にまっすぐという感覚はないのか?」
と思っていたのが、
ちょっとした加減で急に入る。
「はいった!」と嬉しそう。
もう一度やるとまた入らない。
そしてまたひょいと入る。
何度か繰り返して、
ちゃんと入るようになった。

今度は体温計を首に突き刺すように当てる。
そして顎をぐっと下げ、しばしじっと。
それからケースに戻そうとすると、
エラーを知らせるピッピピという音。
「うん、ちゃんと鳴った」とでも言いたげな満足そうな顔。
おめでとう。
 
| 娘のこと | 16:42 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
おもちゃ 1
野菜のおもちゃ

最近、友人にプレゼントされていた野菜のおもちゃを出した。
まだ口に物を入れるのが少々不安ながら。 
さくらんぼはしゃぶりまくるので隠した。
他はそんなにしゃぶらない。

包丁で切る、というのはまだ無理なよう。
専ら手で二つに分けたり、好きな野菜を握ったり。

トマトは握って

トマトとミニトマトは、まず手放さない。
どれだけトマトが好きか分かる。
スーパーでうっかりミニトマトのパックを万引きしそうになるほど。
ほぼ毎日トマトジュースをねだるほど。

キリン?

今日、おじいちゃんが積木をこんなふうに積み上げた。
娘、これを見て、「きりん」。
なるほど!首が長い。
おじいちゃん、それに対して「ダチョウじゃろう」。
確かに。
知識の多さでおじいちゃんの勝ち!
| 娘のこと | 13:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
娘の様子
指を、いやそんなかわいいもんじゃない、手まるごとだ、
手をしょっちゅうしゃぶっていた娘だが、
朝テレビを見せるのをやめてしばらくしてから、しゃぶらなくなった。
朝のテレビとの関連性は定かでないが、
テレビの時間が減り、その分私と接する時間が増えたのが
一因であることは、間違いないと思う。
行動してすぐ効果が表れるのは嬉しい。

ところが最近、「だっこ、だっこ」がひどくなってきた。
だっこできるときはするが、できないときには勿論しない。
甘えん坊になってきたのか?
さてさてどうしたものか。

それから、ちょっと前から顕著になってきた行動がある。
年の近い子〜小学生を見かけると、
指さして喚くのである。
何と言っているのかは分からない。
すごい剣幕で喋るから、
怒っているように聞こえる。
興味あってのことなのだが。

最初は、「あ゛あ゛っ!」というような声で一言怒鳴っていたのが、
最近は意味不明な言葉を喋る。
何と言っているのかとても知りたい。
女王が家臣に厳しい言葉を浴びせるような、そんな感じである。
「わたしに断りもなく、お前は何をしているのだ!無礼者!!あっちへ行けっ!」
「お前、なぜ自転車に乗っているのだ!私に貸しなさい!」

指さし
| 娘のこと | 20:53 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
母への花束
一昨日の母の誕生日に、薬味寿司を作って持って行った。
祖母もおはぎを提げてやって来、一緒にお昼を食べた。 
食後には、気に入りの「ロワール」のケーキ。

ケーキ

この日にやろうと思っていたことがある。
買った花を自分でラッピングして渡すということ。
あれこれ注文付けることなく、自分の思い通りに仕上がると思ったからだ。
ただしうまくいくかどうかは分からない。
しかし、まずい仕上がりでも母なら差し障りなかろう、というわけ。

夢見る乙女、という雰囲気の花束にした。
白いラナンキュラスをメインに、カラーやフリージアなど。
私好みになったことはなったが、
やはりラッピングはプロに任せた方が良い。
束ねたあたりの処理や全体的なバランスが、うまくいかない。

花束

花束を一度に五つくらい、作ってみたいものだ。
一つだと、どうもワンパターンになって困る。
こんなのもこんなのもいいな、と考えても、
そこから一番好きなのを選ぶとなると、
結局毎回似たようなものになってしまう。

| 私のこと | 20:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
すっかり春、という感じの毎日。
家にこもってばかりで、
すぐ近所に桜並木があるというのにまだ見ていない。

私が出掛けるより早く、家の中に桜がやってきた。
義母が家から切ってきてくれたのだ。
まずは玄関に。
春満開。

玄関の桜

小さい余ったのをテーブルに。

食卓の桜

昨日は蕾ばかりで、娘と一緒につっついた。
「桜の蕾、つんつん」とつついてみせると、
「つんつん」とつつく。
何回もつつきたがる。

今朝、花開いているので、
「昨日は桜、蕾だったね、ぱあって開いたよ」と
指先をくっつけて閉じた手をぱあっと開いてみせると、
「ぱあって!」と繰り返す。
蕾が開いて花の形になることに、気づいてくれたかな?

家の中もすっかり春。
今日あたり、桜並木を見に行こうかな。
| | 09:45 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
焼き物
陶芸をする父に、スープ皿と花瓶をリクエストしていた。
できあがって持ってきてくれた。
自分のデザインを形にしてもらえるのって、嬉しいなあ。

器

黒くて光沢のある花瓶。
小ぶりだけど、口のところが細くなくて、
花がたくさん入れられるのがほしかったのだ。
同じ形で一回り小さいのは、
マットな淡いベージュ。
スープ皿は、片耳付き。
こげ茶色。

好きな器で食事したり花を生けたりすると、
喜びが倍増する。
| 私のこと | 09:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
庭の春
ここ数日暖かい。
春が来た、と嬉しくなるが、
連休並みの暖かさと聞くと、喜んでもいられない。
肌で実感する温暖化。

それはそうなんだけれども、
確実に春はやってきているわけで、
うちの庭も然り。
緑の新芽が小さく膨らむさまは、本当にかわいらしい。
喜びを与えてくれる。

古い葉の中に新芽小手毬宿根草とかげ

大好きな小手毬。
枯れたのかと思わせるたたずまいだったので、
一斉に芽吹いてきたのには心弾んだ。

何という名だったか、
宿根草の芽が出ているのにも今日気づいた。
地面から命が湧き出るよう。

そして、とかげが一匹まどろんでいた。
実に愛らしい。
私はとかげがあくびをするのを見たことがある。
とかげが何匹も集う庭にしたいものだ。

雑然とした庭。
まだ完成していない。
これからのお楽しみ。
| 自然 | 14:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
育児短歌
たまたまつけたテレビに、歌人の俵万智が出ていた。
育児を短歌で表現しており、
そうそう、と頷くことしきり。

同じようなことを感じる母親は沢山いる。
でも、それを自分の言葉で残すかどうかで、
同じ事が同じ重みを持たないような、
そんな気にさせられた。 
俵万智の子どもはいいなあ。

さて、「ブロッコリー」という野菜、
彼女の息子は「びっくり」と発音する(した)らしい。
うちの子は、「ぼっこりー」と言う。
「びっくりと ブロッコリーを 〜」と詠んだ俵万智のまねをして、
へたっぴながら、私も一首。

 「ぼっこり」と 
 ブロッコリーを呼ぶ吾子に 
 緑の ふくらみ 重み 教わる

ブロッコリー

娘が「ぼっこりー」と言うのを聞いたとき、
ブロッコリーのまるっこい形、存在感が、
確かに「ぼっこり」しているな、とおもしろく感じたのだ。

我が家の育児短歌、始まるか?
んー、どうだろ?

| 娘のこと | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ピープル・ツリーの素敵なノート
妹からのプレゼント。
送られて来た物は、バングラデシュで作られた、
「ニュースペーパー・ノート」。
リサイクルした新聞を紐状にし、コットン糸とで編んだというか織ったというか、
それが表紙。
ココナッツボタンに紐を掛けて留める。

閉じた状態

紐を解いた状態

中の紙は、手漉き。50ページ。

開いた状態

エコを目指す私に、と選んでくれたらしい。
心温まる作品。
何を書こうかな?

  ピープル・ツリー People Tree   (www.peopletree.co.jp)
   ここの商品は、発展途上の人々が、伝統的な技術を活かして一つひとつ手作りしたもの。
   ピープル・ツリーを展開するフェアトレードカンパニー(株)は、
   公正な価格の支払いや代金の前払い、デザインやマーケティング情報の提供で
   生産者を支援する一方、
   環境と南北問題についての情報を日本の消費者に提供し、
   フェアトレード(公平・公正な貿易)を推進している。
| 暮らしのエコ | 14:04 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
エルサレム賞―村上春樹の講演
最近のは読んでない

2月15日に、作家の村上春樹が
イスラエルの文学賞「エルサレム賞」を受賞した。
私はそれを、3月9日の新聞で初めて知った。
だから、イスラエル軍のガザ地区攻撃に対する非難から、
彼に受賞拒否すべきだとか、
受賞したら不買運動をするぞとか、
そんな忠告・警告があったことも、
9日に初めて知った次第。

9日と今日12日の新聞に、
彼の記念講演の全文が二回に分けて掲載されていた。
すごい人だな、と思った。
すごいって何て単純な、他に言い方はないのかと恥ずかしくなるが、
純粋にそう思ったのだ。

体制を「頑丈な壁」、個人を「壊れやすい卵」にたとえ、
今まさに壁側にいる大統領の前で、
自分は卵の側に立つ、と話したのだ。

批判の仕方は一つではない。
受賞拒否することも確かに一つの表現だ。
しかしそれで何かを伝えることができるだろうか?
批判している、ということ以外。
村上春樹は、「考えに考えた末」、
イスラエルに行くことを決め、自分の思いを語った。

「欠席するより出席することを選びました。
見ないことより自分で見ることを選びました。
何も語らないより、皆さんに語ることを選びました。」

多くの聴衆の前で語った彼の言葉と行動そのものは、
彼のファンの心にもそうでない人の心にも、
波紋を作ったに違いない。

そして、「壁」と「卵」は、
戦争という異常事態の中でだけ語られるものではない。

「世界でたった一つしかない掛け替えのない魂が、
壊れやすい殻に入っている―それが私たちなのです。」

心に沁みた一文だ。
 
| 社会問題 | 10:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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